吉野 秀雄
お茶好き小話
わたしのお茶好きは祖母の影響だ。八つの年、父母の許をはなれて、祖父母のゐる町で小学校へあがり、そこに六年間暮らしたが、祖母は溜塗りの炉べりのついた囲炉裏に座り、南部の鉄瓶に湯をたぎらせてお茶ばかりのんでゐた。少年のわたしも朝茶をのみならひ、また玉露のお茶づけのうまさも身にしみるやうになつた。中学へ進むので両親の家へ戻つたが、父は実業一方の人で、「上物のお茶をのむやうでは家はもたぬ」といひ、自分ではもっぱら[#「もっぱら」はママ]塩味の番茶を愛飲してゐた。番茶も焙じ工合によつては決してまづくないにせよ、やはり緑茶の魅力には比すべくもなくない。
今日、わたしも家内もお茶には目がなく、抹茶と煎茶の双方だし、宇治・静岡・狭山と、どこの産でもかまはぬが、わが家へ来る人々皆相談でもしたやうに、「お宅のお茶は結構です」といふ。「お宅のお茶」とは、手製でない限り、どうも妙な表現だし、それに亡父のいましめにほだされ、二級品程度の贅沢でがまんしてゐるので、一層恐縮もするが、これは多分こつちのお茶好きの心がそのまま向ふに通ずるからだらうと思ふ。
いままでにいちばん印象深くて忘れかねるのは、数年前の春の暮に、肥後の人吉の友が送つてくれた新茶だつた。それは人吉の旧城下を流れる球磨川をさらに十何里も東北へさかのぼつた日向との国境ひの川――その山を越せば「庭の山しゆの木 鳴る鈴かけてヨ」の稗搗節で名高い椎葉の里となる――の野生の茶の木の新芽のよしで、その香りのすがすがしさには文字通り舌を巻いたことであつた。わたしが思はず筆を執つてかいた礼の歌が未発表のまま、手帖の端に残つてゐる――。
球磨川の遠つみなかみに