北大路 魯山人
家畜食に甘んずる多くの人々
ひとは偉そうな顔はしていても、また自由、自由と、自由を叫んでみても、みながみな、家畜に等しく、宛てがわれたままの食べ物を口にして、うまいとかまずいとかいってはいるが、日常の事務的行為として三度の食事の不自由に気がつかない。
大部分の人間が、女房の宛てがい扶持、弁当屋、料理屋の宛てがい食に従い、いささかも不自由を忍んでの食事とも、奇妙な食生活とも気にしていないようだ。まことに不思議である。このひとびとからは食生活の見識というものは見出し難い。
日本のように食品に恵まれた国柄では、選択に少しの不便もなく、山禽のごとくどんな食餌でも気儘に摂れるはずであるが、自由生活ご随意の人間として、自己の欲するものが口に入れられないということは、なにかに捉われているのであろう。
今日はなにが食べてみたい、明日は何々が食べたいを実行して、おのが体を拵えているひとは皆無であろう。