中谷 宇吉郎
勘
勘というものは、不思議なものである。和英の辞書をひいても、勘に相当する適当な言葉は見当らない。勘がよいというのには「見通しが早い」とか「第六感がすぐれている」という言葉があてはまるが、いずれも「勘」とは少しちがうように思われる。
「見通しが早い」場合には、それが推理の速い場合もあり、勘がよい場合もある。即ち勘は早い見通しがきくための要素の一つであって、見通し自身ではない。第六感がはたらくというのは、胡麻化しであって、勘が五感以外のものであるか否かは、わかっていない。
勘の問題を考える場合に、一番大切なことは、勘というものが、実際にあるか否か、それを科学的に実証できるかどうかという点にある。普通勘がよいとか、悪いとかいうが、それ等は全然定性的のことで、しかも主観が大いに働いている。客観的に、勘の良否を判定する材料を集めることは、非常に困難である。
例えば、日本人は勘がよいが、アメリカ人は非常に鈍いということが普通に言われる。しかしそれが本当かどうか、もし本当だとしたら、平均して、日本人はアメリカ人よりも、何割勘がよいか、というようなことは、全然わからない。そういう調査をするための客観的材料がないからである。