中谷 宇吉郎
根強い北陸文化
私が四高の学生だったころに、金沢から一人の若い青年が突如として、彗星のごとく日本の文壇にあらわれた。それは『地上』でもって、一躍世に出た島田清次郎であった。
当時私は、寺町の医師の住宅に下宿していたが、この家は、そのころ金沢でも一流の料亭であった「望月」の並びにあった。犀川べりの高い岸の上に建っていて、縁先からは、はるかに医王山が望まれ、犀川の流れは、一望の下に脚下にひらけていた。月の夜などは、犀川の流れにくだける月影が、まことに美しかった。
この家の若主人は、病院へ通っていたお医者さんであって、家で患者はみていなかった。おとなしい文学好きの人で、島田清次郎とは、遠縁にあたっていた。生田長江から「若きドストエフスキー」として文壇に送り出された当時の島田清次郎は、文字どおりに、旋風を巻き起こしていた。
このお医者さんは、清次郎の中学時代をよく知っていた。西の郭の芸者屋で、母と二人で部屋住みの生活をしていたころのことである。少年時代からの文学狂で、よく短編小説のような作文を書いてその文章を直してくれといって、このお医者さんのところへ持ってきたこともあるそうである。