室生 犀星
〈我が愛する詩人の伝記〉(補遺)
佐藤惣之助
詩人佐藤惣之助は明治二十三年十二月三日、川崎市砂子の宿場脇本陣の旧家に生れ、私より一つ歳下であった。砂子の彼の家のうしろは早くから工業地帯に変っていたが、野趣ある草原には小さな鮠や川鰕をうかばせる小川があり、海は近く蘆荻の沼沢地方が続いて、佐藤はそこらで植物昆虫魚介にしたしみ、彼のいう泥のついた娘達とも遊んだ。四歳にして釣を嗜み、十二歳で発句を学んだという自伝も嘘ではなかろう。
十三歳で東京に出て丁稚奉公をして働いたが、十七歳で兄の家業、荒物屋を手伝った。その間に仏蘭西語もちょっぴり噛じり、英語も噛じり、手当り次第に本を読み独学で詩人として一家を為すに至ったのである。だから彼は私を訪ねる時にも必ず懐中には何時も、一冊の書物をいれていた。川崎から東京に出る電車の中で読むためである。主著の二十三冊の詩集に八冊の随筆集、七冊の釣魚の書物、外に二冊の発句集をその生涯にのこした。旅を愛し日本内地は隅から隅を歩き、琉球諸島、南洋、支那大陸、オホーツク海を遍歴し、飛行機も誰よりも先に何度も乗り込み、満洲は哈爾賓にまで二度も渡った。そしてどのような旅行先でも、先ずそこに住む女としたしむことで、彼の旅を愛する元が醗酵していた。異常な健康を誇る彼は先ず旅行からの帰途静岡あたりで下車して、萩原朔太郎の令妹周子さんをもらった当時は、彼女に電報を打って置いて旅館の一室で、旅の自慢話をし美しい妻を待ちきれずに肌をあたためる油断のならぬ男であった。無頼の放蕩児ともいわれる彼は先ず女に溺れるに早く、また女ゆえの苦衷は絶え間がなかった。泥足の小娘から家一軒買ってくれる芸者の愛人にいたるまで、一たい此