石川 欣一

飢えは最善のソースか

この雑誌にこんなことを書くと、皮肉みたいに思われるかもしれないが、西洋の諺、「飢えは最善のソース」には、相当の真理が含まれている。

一流の料理人が腕をふるってつくり上げたソースをかけて食えば、料理はうまいにきまっているが、それよりも腹のへった時に食うほうがうまい、という意味である。

六十年を越す生涯で、いろいろな場合いろいろなものを食ってきたが、今でも「うまかった」と記憶しているものはあまり沢山ない。そのなかで飢えをソースにしたものをちょっと考えてみると、中学校の時、冬休みに葉山へ行っていて、ある日の午後何と思ってか横須賀まで歩いた。着いた時は日暮れ時で寒く、駅前のそば屋で食った親子丼が実にうまかった。しかしこれは飢えばかりでないプラス寒気で、湯気を立てる丼飯を私の冷えた体が歓迎したのだろう。

大人になってからも似たような経験をした。毎日新聞の記者として芦屋に取材に出かけ、晩方の九時頃仕事を済ませて、やはり駅に近いそば屋でテンプラそばを食った。これも冬だったが、七味唐辛子をウンと振り込み、最後に汁を呑んで咽喉がヒリヒリしたことまでおぼえている。これは飢えプラス寒さプラス仕事を終った満足感である。

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