室生 犀星

わが愛する詩人の伝記(三)

萩原朔太郎の長女の葉子さんが、この頃或る同人雑誌に父朔太郎の思い出という一文を掲載、私はそれを読んで文章の巧みさがよく父朔太郎の手をにぎり締めていること、そして娘というものがいかに父親を油断なく、見守り続けているかに感心した。

葉子さんは三十過ぎだがボンヤリと鳥渡見たところでは、気の善すぎる、だまされやすく騙してみたいような美しさを持っている人だが、この父朔太郎の思い出をくぐり抜けている葉子さんは、なかなかの確かりした人で騙そうとしても引き返さなければならない程の、愉快な手応えを見せていた。

萩原は他人と話をするときには、対手の眼にぴたっと見入らずに、伏眼がちにチラチラと横眼をしている間に、対手の眼を見返す妙な癖があった。私は彼の印象を書く折にそれをどう現すべきかに、適当な言葉に気付かずにいたが、葉子さんはそれを「父は怯えたような眼付をし、まともにわたくしを見なかった。」と見抜いていて、私は葉子さんはよくお父さんを見ていたと思った。幸田文さんの『父の思ひ出』森茉莉さんの『父の帽子』も、彼女らの出世作になり遂に名才媛になられたが、わが葉子さんのその一文にも心理のあつかい等も文章の内容にあって、詩人の娘であり骨肉は文学の間に通じていることを知ったのである。北原白秋が或る時私に可笑しそうに言った。「萩原って妙な男だよ、自分の娘の事を話しする時にもきまり悪るげに羞かしそうにするんだよ、自分の娘なんだよ、それが君。」と、萩原朔太郎の心に何時までもあるいじらしさを指摘して言った。だが、この問題は私自身にしても、自分の娘の話をするときには鼻白むを感じるし、少々困るふうもする。だいたい父親とい

青空文庫の作品カード