久保田 万太郎
浅草風土記
雷門以北
広小路
一
……浅草で、お前の、最も親密な、最も馴染のふかいところはどこだときかれれば、広小路の近所とこたえる外はない。なぜならそこはわたしの生れ在所だからである。明治二十二年、田原町で生れ、大正三年、二十六の十月までわたしはそこに住みつづけた。子供の時分みた景色ほど、山であれ、河であれ、街であれ、やさしくつねに誰のまえにでも蘇生って来るものはない。――ことにそれが物ごころつくとからの、わたしのような場合にあってはなおのことである。
久保田 万太郎
雷門以北
広小路
一
……浅草で、お前の、最も親密な、最も馴染のふかいところはどこだときかれれば、広小路の近所とこたえる外はない。なぜならそこはわたしの生れ在所だからである。明治二十二年、田原町で生れ、大正三年、二十六の十月までわたしはそこに住みつづけた。子供の時分みた景色ほど、山であれ、河であれ、街であれ、やさしくつねに誰のまえにでも蘇生って来るものはない。――ことにそれが物ごころつくとからの、わたしのような場合にあってはなおのことである。