有島 武郎

詩への逸脱

私は嘗て詩を音樂に次ぐ最高位の藝術表現と云つたことがあつた。

凡ての藝術は表現だ。表現の焦點は象徴に於て極まる。象徴とは表現の發火點だ。表現が人間の覺官に依據して訴へ、理智に即迫して訴へようとするもどかしさを忍び得なくなつた時、已むを得ず赴くところの殿堂が即ち象徴だ。だから象徴とは、魂――若しそんな抽象的な言葉が假りに許されるなら――が自己を示現せんとする悶えである。而して詩は音樂に最も近くこの象徴へと肉迫する。少くとも文學といふ分野に於て、詩に優つて純粹に藝術の遂げんとする要求を追求してゐるものはない。

戀人に取つて、眼の言葉と、口の音樂とは遂に最後のものではない。それは説明だからだ。如何に巧妙なる説明も、それは結局投影の創造であつて物そのものではないだらう。而して抱擁が來る。抱擁も然し戀人に取つてはまだもどかしい。而して死が來る。戀は生命の灼熱であつて、而して死は生命の破却だ。何といふ矛盾だらう。然しながら人間がその存在の中にさぐり求めるあらゆる手段の中、死のみが辛うじて、凡てを撥無してもなほ飽き足らない戀人の熱情を髣髴させるのだ。戀人はその愛するものゝ胸に死の烙印もて彼れ自身を象徴するのだ。

人は自ら知らずして人類を戀してゐる。彼れの魂は直接に人類に對して自己を表現せんと悶えてゐる。かくて彼れは彼自身を詩に於て象徴する。

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