山本 周五郎

北へ傾がった家

何月ぶりかに来た若い客が、迷わずに来たといって自慢そうな顔をした。

「途中でききましてね、あのお宅は垣根を作りましたかというと、いや元のままですといって、その人はにやにやしましてね」などと、さも賢こそうに自分もにやにやした。

わが家には垣根がない、ひと並べ灌木がぼさぼさ植わっているだけである。家も北方へひっ傾がって(持主の大橋さんは佐佐木茂索氏の前夫人の母堂であって、このまえ「ひっ傾がって」と書いたらすっかり怒られてしまったが、これは持主の責任ではなく、専ら店子である私の責任であります)ときに寝ていて月をながめられるという風流な家を、風流なままに住みこなしている。私はこの家が好きだし、近ごろでは訪客も馴れてあんまり迷わなくなった、先に述べた若い客のように、もしかして垣根でも作ればそのほうがかえってまぎらわしくなるだろうと思う。

もっとも今年は夏に門を立てた。門などというと笑う人があるかもしれないが出入り口を表示するため棒グイを二本立てたのである。直径三寸ばかりの公明正大な丸太ん棒で、折から道路工事に来ていた人夫諸君(わが妻きんべえがうまくおだてたらしい)が協力して立ててくれたものである。これが出来たときは家じゅうでげらげら笑った。きんべえは自分が主謀者だもので、「この上へ電気を付ければ夜なんかでも門だということがわかるわよ」などと主張するのであるが、棒グイの上の門燈では関東配電の工事担当者も乗り気になれないだろう。私もまだそこまでは手が回らない。

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