山本 周五郎
多忙
どうもいそがしくてしようがない。そう云ってもいそがしいのは仕事ではなくてもうひとつの方のことである。その方なら誰だって同じだと云うかも知れないが誰でも同じ程度なら小生としては安穏な時期である。なにしろあっと思うとたんに動きがとれなくなるのだからいやだ。いやそう云うよりも時として安穏なことがあるので、にっちもさっちもいかないのが常態だと云う方が当っているだろう。普通なら仕事の先にはもうひとつの物が約束されているであろうのに、小生の場合にはなにも約束されないのである。仕事をすることは追越されている状態を幾らか縮めるというに過ぎないのである。世に入るを計って出るを制すということがあるが、君などは出るを計って入るを制する部類だと軽蔑されても、敢てこれに抗弁する余地がないのだからいやだ。
なにしろそういう訳でいそがしい。仕事にかかるがいなやもうすでにもうひとつの物が欲しくて喉から手が出る。仕事が届くよりもさきに喉から出た手の方が先方へさきに届く場合の方が多いかも知れない。だから此方もいそがしいが先方でその事務を執る人もいそがしいだろうと思う。仕事の方は遅れに遅れてまるで人を馬鹿にしたように遅れたうえ、もう一方の物は火のついたような騒ぎでせきたてるのだからみんな愛想をつかしているだろうと思うとわれながらいやだ。
さて何にがゆえにこんなことを並べたかというと、小生は或る知人から妙なものを貰ったのである。……これは君に最も相応わしいと思うから進呈する、と云って呉れたのは、古色を帯びた土佐半紙の原稿用紙に達筆でなぐり書きにした一葉の手簡である。
拝啓けふの原稿三十五枚