原 民喜
広島の牧歌
鶴見橋といふ名前があるからには、比治山に鶴が舞っていたのだらう。私の亡父はその舞っている鶴を見たことがあるといふ。
比治山の鶴が飛んだ ビンロイ
と、箸ですくった茶碗の御飯を幼児の口にあてがってやる、おどけた習慣は今も広島の女に残っていることだらうか。比治山には要塞があった〔。〕大砲が松の間に隠されて、海の方を覘ってゐた。県師の附小生だった私は、学校の帰りによくこの山に登ったものだ〔。〕
戦争末期に戸籍抄本のことで、この山腹の頼山陽文徳殿に疎開した市の戸籍課を訪ねたことがある。露天に机が並べてあるところで、でんでに戸籍簿を借りて自分で書き、それから判を窓口で押してもらえばいいのだった。机の隣にゐる男が「ええと、今年は昭和何年でしたかしら」と私に訊ねる。原爆より四ヶ月前のことで、建物のまはりには桜が満開だった。