稲生 武太夫・稲生 正令
三次実録物語
一、三次五日市奥近在、布野村と申す所に、まづしき百姓夫婦に男子壱人もち、相くらし居けるが、其の子うまれ付殊の外じやうぶにて、六七歳ぐらひにも相成候へば、近所の十歳ばかりより十四五歳ぐらひの子供をあつめ、すもふなど取り候へども、なか/\寄付くものもなく、其外けんくわなどいたし候へども、及ぶものもなく候へば、親どもよろこび、まことに鳶が鷹とやら、此方じきが子にしておくも口おしきことなりと申ければ、女房申よふ、わづかの田地のことは、おまへと弐人しても手守護相なり候へば、五日市へ御出のせつ何卒よき所を御聞合せ、おん預なされ候へと申せば、夫より右の子供九ツに相成候とし、五日市へ出てだん/\聞合候へば、か□□(この箇所空白)の棚と申す所は、至て相撲取なり。とくげんきなる人も御座候者夫ゆへに所も、げんき小路ともふし候、咄しうけたまわり候へば夫よりかゆいの棚、関取のところへ参り、わが子のごふぜいなる次第かたり候へば、せきとり志よふちにて此方にも、供弟子御座候へば着の身きのまゝにて何分、明日つれて参られ候へ。如何様にもおん世話いたし申べくと申候へば、親よろこび厚く一礼をのべ夫より我家へかへり、女房へそのよしはなし聞せ、明るを待かね子供を連いで行き、右のせきとりの所へまゐり候へば、関とり、子供を見て殊の外歓び、近所の十三四五の弟子どもを呼び寄、相撲とらせ見るに、弟子勝者なく、なを/\主大によろこび、親父も歓かへりけるが、又/\五日市へ出候へば、様子聞にまいり、夫よりだん/\と相撲稽古いたさせ、近在へ連れあるき十二歳の度、広島へ出、名だかき師を頼み段/\所々の国々へ参り、拾八歳にて、大坂にて上の内へ