佐藤 春夫
文芸家の生活を論ず
先々月の新潮合評会席上で、作家の稿料の事などに就いて僕が簡単に発言したところ、今月号の二三の雑誌に多少の反響があつた。発言者として言ひ甲斐のあることである。ただ困つたことには、僕の本当に言はうとした意味を了解してゐるらしい人は殆んどない。わざ/\曲解してゐるとすれば軽蔑して過しただけでも足りるのだが、若しさうでなくて僕の言葉が足りない為め僕の主旨が通じないのだとすると、多少残念でないこともないので、それに前々からいづれは言つてみたいと思つてゐた事柄ではあり、旁々もう一度ここに述べ直してみる。今度は、僕の性分には合はないことだが出来る事ならでくのぼうにでも解るやうに、噛んで含めるやうに申述べたいものである。従つてこの文章の七くどい事は予め御断りして置く。
僕が今日一流の文学者の稿料が高過ぎるやうに思ふといふことは、一般の操觚者の稿料が多過ぎるといふ事を決して意味しないので、却つて一般の操觚者のそれが尠ないのに対して、三四五人の文学者の稿料が過分に多過ぎるだらうといふことを言はうと思つたのだつた。僕の今から言はうとすることの本旨は、一般の操觚者の稿料を今日より引下げたいといふ事を意味するのでないことは、いづれ追々とわかるであらうが、先づ第一に念を押して置きたい事なのだ。
それにしても僕は何故、一般の操觚者の稿料が尠ないといふ事を言ふ前に、少数の作家の稿料が高過ぎるといふ事を言はなければならぬか。又、何に比較してそれが高過ぎるか。その点から先づ言つてみる。
一たい今日の作家のうちの極く少数の人々が得てゐるといふ稿料が、四百字詰めの原稿用紙にして、一枚最高何円であるか何十円であるか僕は