大下 宇陀児

爪

一

沖野鳳亭が何故竹中格之進を殺さねばならなかったか、その根本の理由に就いては、出来るだけ簡単に述べて置く。この譚の主な目的が、実は沖野鳳亭の選び出した奇妙な殺人方法及びそれがどんな結果になったかということ、その二つを説明するのにあるからなのだ。そして又一方では、殺人の動機そのものが余り珍らしいものでもなく、それを詳しく述べ立てていた日には読者諸君が或は退屈してしまうかも知れぬのだ。要するに沖野と竹中との二人は、住谷良子という女を愛していた。女はしかし竹中の方により多くの好意を寄せていた。そこで、沖野が竹中を殺そうと思い立ったのだった。

沖野鳳亭は文士だった。文壇では先ず中堅どころの作家である。が、それはそれとして置いて、この男の有っている大きな特徴というのは、妙に気が弱くて、だから又正直であるということだった。人殺しでもしようという男が、気が弱くて正直だというのは、少しばかり変に聞えるかも知れない。が、それはほんとうのことである。彼は自分の創作を発表しても、誰かが賞めてくれるまでは、少しも自信を有てない男であった。なかなか勉強家でもあったので、時には何か素晴らしい文学上の問題などを見付け出す。が、彼はいつもそれを自分一人の胸の中へそっと蔵い込んでしまって、文学論などは一度も発表したことがない。その文学論のうちに、どんなに些細な一ヶ所でも、他から揚足を取られるようなことがあってはならない。とそればかりをくよくよ心配する。事実又、稀に友人の誰彼と議論などを闘わしても、彼はその途中で相手から何か一寸したロジックの誤りを指摘されると、もうそれだけで狼狽の極に達し、顔を真赤にして支離滅

青空文庫の作品カード