大下 宇陀児
毒
一
小野村伯太郎には、まだ何一つ分ってはいなかった。前のママちゃんのことを覚えているには覚えていた。いつも優しい微笑を浮べていて、その癖に、どこか愁の籠った眼附をした前のママちゃんの顔が、今でもどうかすると、お居間の片隅だの天井だのからひょっと覗き込んでいるような気がするけれども、そのママちゃんが、ほんとうはどういう訳で急にいなくなってしまったのか、それからまた、そのママちゃんがいなくなってから一年経った時に、今度の若い美しいママちゃんが、どういう訳でやって来たのか、どうもハッキリと分らずにいた。
幼稚園へ行けるようになった伯太郎にさえ、こうして訳が分らずにいたのだから、その妹の小野村露子と、そのまた弟の、これはようやくあんよが出来るだけになった小野村伯二と、この二人にも無論訳の分る筈がなく、伯太郎と露子とは、いつか次のような会話をしたことがあった。
「ね、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、先のママちゃんがどこへ行ってらっちゃるか知っている?」