大田 洋子
「屍の街」序
私は一九四五年の八月から十一月にかけて、生と死の紙一重のあいだにおり、いつ死の方に引き摺つて行かれるかわからぬ瞬間を生きて、「屍の街」を書いた。
日本の無條件降伏によつて戰爭が終結した八月十五日以後、二十日すぎから突如として、八月六日の當時生き殘つた人々の上に、原子爆彈症という恐愕にみちた病的現象が現れはじめ、人々は累々と死んで行つた。
私は「屍の街」を書くことを急いだ。人々のあとから私も死ななければならないとすれば、書くことも急がなくてはならなかつた。
當日、持物の一切を廣島の大火災の中に失つた私は、田舍へはいつてからも、ペンや原稿用紙はおろか、一枚の紙も一本の鉛筆も持つていなかつた。當時はそれらのものを賣る一軒の店もなかつた。寄寓先の家や、村の知人に障子からはがした、茶色に煤けた障子紙や、ちり紙や、二三本の鉛筆などをもらい、背後に死の影を負つたまま、書いておくことの責任を果してから、死にたいと思つた。