中谷 宇吉郎
『竹の家』
この頃はだいぶちがって來たが、つい最近までの日本では、外國映畫が高級で、日本映畫は卑俗なものと、きめてかかる習慣があったように思はれる[#「思はれる」はママ]。
新聞や雜誌に載る映畫評を見ていると、日本の映畫批評家は、たいへんな勉強家のようである。あまり聞いたこともないような俳優の名前が、一杯並べられ、それらの逸話のようなものまでが、詳しく書いてある。世界中の映畫のことは、樂屋裏のすみずみまですっかり分っている點、まことに驚くべきことである。何か種本のようなものがあるのかもしれないが、それでもえらいものである。
ところで、アメリカでも、映畫に一隻眼をもっている人たちの中には、日本の文化人と全く同じようなことをいう人がよくあって、その點非常に興味がある。
そういう人たちが、第一番にけなすのは、ハリウッド映畫である。あのこけおどしの低級なハリウッド映畫を見ていると、頭が痛くなるという。ものを考えさせる映畫は、イギリスかイタリアのもの、それと最近の日本の映畫くらいのものである。それにしても、この近年の日本の映畫の進歩は實に目覺ましい。非常に哲學的である、というのであるから、全く恐れ入る。