中谷 宇吉郎
惜櫟荘
亡くなった岩波(茂雄)さんが、熱海に別莊をつくる時に、庭にあった櫟の老木を助けたという話がある。海岸に近い斷崖の上に、百坪あまりの土地が得られて、そこに三十坪の別莊をつくることにしたのである。その眞ん中に、櫟の木が一本あった。請負の人が、どうもこの木が邪魔になるので、伐ってしまおうとした。
それを聞いた岩波さんは、絶對に伐ってはいけないという嚴命を下した。櫟は雜木であって、庭木にはならない下等な木であるが、それだからなおのこと、この木は伐ってはいけない、というのである。今の若い人たちに聞かしたら、隨分非論理的だというであろうが、明治の日本人には、こういう人がたくさんあったのである。
それでも心配だったと見えて、今度は、庭師や土工の連中に「この木をどうしても伐ると言うのなら、その前に我輩の腕を切れ」と言い渡したそうである。岩波さんは、この自分の科白にすっかり惚れ込んでしまって、完成後、お客を招待する毎に、この科白を聞かせたものであった。中には、二三度も聞かされた人もあったことであろう。
もっとも庭ができ上って見ると、この櫟はなかなかいい。庭全體を芝生にして、木は一本も植えてない。芝生の向う側は崖になっていて、小松の植込みが、頭だけを出し、その上は海である。櫟の老木は、唯一本この芝生の中に立っているが、その位置は軒先に近く、少し壺がはずれているところが、櫟らしい。