芥川 竜之介

貝殻

一 猫

彼等は田舎に住んでゐるうちに、猫を一匹飼ふことにした。猫は尾の長い黒猫だつた。彼等はこの猫を飼ひ出してから、やつと鼠の災難だけは免れたことを喜んでゐた。

半年ばかりたつた後、彼等は東京へ移ることになつた。勿論猫も一しよだつた。しかし彼等は東京へ移ると、いつか猫が前のやうに鼠をとらないのに気づき出した。「どうしたんだらう? 肉や刺身を食はせるからかしら?[#底本では「?」の後は1字アキ]」「この間Rさんがさう言つてゐましたよ。猫は塩の味を覚えると、だんだん鼠をとらないやうになるつて。」――彼等はそんなことを話し合つた末、試みに猫を餓ゑさせることにした。

しかし、猫はいつまで待つても、鼠をとつたことは一度もなかつた。そのくせ鼠は毎晩のやうに天井裏を走りまはつてゐた。彼等は、――殊に彼の妻は猫の横着を憎み出した。が、それは横着ではなかつた。猫は目に見えて痩せて行きながら、掃き溜めの魚の骨などをあさつてゐた。「つまり都会的になつたんだよ。」――彼はこんなことを言つて笑つたりした。

青空文庫の作品カード