芥川 竜之介
湖南の扇
広東に生れた孫逸仙等を除けば、目ぼしい支那の革命家は、――黄興、蔡鍔、宋教仁等はいずれも湖南に生れている。これは勿論曾国藩や張之洞の感化にもよったのであろう。しかしその感化を説明する為にはやはり湖南の民自身の負けぬ気の強いことも考えなければならぬ。僕は湖南へ旅行した時、偶然ちょっと小説じみた下の小事件に遭遇した。この小事件もことによると、情熱に富んだ湖南の民の面目を示すことになるのかも知れない。…………
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大正十年五月十六日の午後四時頃、僕の乗っていた※(「さんずい+元」、第3水準1-86-54)江丸は長沙の桟橋へ横着けになった。
僕はその何分か前に甲板の欄干へ凭りかかったまま、だんだん左舷へ迫って来る湖南の府城を眺めていた。高い曇天の山の前に白壁や瓦屋根を積み上げた長沙は予想以上に見すぼらしかった。殊に狭苦しい埠頭のあたりは新しい赤煉瓦の西洋家屋や葉柳なども見えるだけに殆ど飯田河岸と変らなかった。僕は当時長江に沿うた大抵の都会に幻滅していたから、長沙にも勿論豚の外に見るもののないことを覚悟していた。しかしこう言う見すぼらしさはやはり僕には失望に近い感情を与えたのに違いなかった。