石橋 忍月
罪過論
罪過の語はアリストテレスが、之を悲哀戯曲論中に用ひしより起原せるものにして、独逸語の所謂「シウルド」是なり。日本語に之を重訳して罪過と謂ふは稍々穏当ならざるが如しと雖も、世にアイデアル、リアルを訳して理想的、実写的とさへ言ふことあれば、是れ亦差して咎むべきにあらず。
吾人をして若し罪過の定義を下さしめば、簡明に左の如く謂はんと欲す。曰く、
罪過とは悲哀戯曲中の人物を悲惨の境界に淪落せしむる動力(源因)なり
と。此動力(源因)は即ち術語の罪過にして、世俗の所謂過失及び刑法の所謂犯罪等と混同すべからず。例之ば茲に曲中の人物が数奇不過不幸惨憺の境界に終ることありと仮定せよ。其境界に迫るまでには其間必ずやソレ相応の動力なかるべからず。語を変へて之を言へば闘争、欝屈、不平、短気、迷想、剛直、高踏、逆俗等ありて数奇不遇不幸惨憺の境界に誘ふに足る源因なかるべからず。罪過は即ち結果に対する源因を言ふなり、末路に対する伏線を言ふなり。此伏線此源因は如何にして発表せしむべきや。言ふまでもなく主人公其人と客観的の気運との争ひを写すに在り。此争ひの為めに主人公知らず/\自然の法則に背反することもあるべし。国家の秩序に抵触することもあるべし。蹉跌苦吟自己の驥足を伸ばし能はざることもあるべし。零落不平素志を達せずして終に道徳上世に容れられざる人となることもあるべし。憤懣短慮終に自己の名誉を墜すこともあるべし。曾つて之を争ひしが為めにワルレンスタインは悲苦の境界に沈淪したり。マクベスは間接に道徳に抵触したる所業をしたり。天神記の松王は我愛子を殺したり。娘節用の小三は義利の刀に斃れたり。信長の本能寺に弑せらる