岡本 綺堂
半七捕物帳
一
文化九年――申年の正月十八日の夜である。その夜も四ツ半(午後十一時)を過ぎた頃に、ふたりの娘が江戸小石川の目白不動堂を右に見て、目白坂から関口駒井町の方角へ足早にさしかかった。
駒井町をゆき抜ければ、音羽の大通りへ出る。その七丁目と八丁目の裏手には江戸城の御賄組の組屋敷がある。かれらは身分こそ低いが、みな相当に内福であったらしい。今ここへ来かかった二人の娘は、その賄組の瓜生長八の娘お北と、黒沼伝兵衛の娘お勝で、いずれも明けて十八の同い年である。
今夜は関口台町の鈴木という屋敷に歌留多の会があったので、二人は宵からそこへ招かれて行った。いつの世にも歌留多には夜の更けるのが習いで、男たちはまだ容易にやめそうもなかったが、若い女たちは目白不動の鐘が四ツを撞くのを合図に帰り支度に取りかかって、その屋敷で手ごしらえの五目鮨の馳走になって、今や帰って来たのである。屋敷を出る時には、ほかにも四、五人の女連れがあったのであるが、途中でだんだんに別れてしまって、駒井町へ来る頃には、お北とお勝の二人になった。