岡本 綺堂
半七捕物帳
一
芝、田町の鋳掛屋庄五郎が川崎の厄除大師へ参詣すると云って家を出たのは、元治元年三月二十一日の暁方であった。もちろん日帰りの予定であったから、かれは七ツ(午前四時)頃から飛び起きて身支度をして、春の朝のまだ明け切らないうちに出て行ったのである。
庄五郎の家は女房のお国と小僧の次八との三人暮らしで、主人が川崎まいりに出た以上、きょうは商売も休み同様である。ことに七ツを少し過ぎたばかりであるから、表もまだ暗い。これからすぐに起きては早いと思ったのと、主人の留守に幾らか楽寝する積りであったのとで、庄五郎が草鞋をはいて出るのを見送って、女房は表の戸を閉めた。女房は茶の間の六畳に、小僧は台所のわきの三畳に寝ることになっているので、二人は再びめいめいの寝床にもぐり込んで、あたたかい春のあかつきの眠りをむさぼっていると、やがて表の戸を軽くたたく者があった。
「庄さん、庄さん」